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開館時間
AM10:00〜PM6:00
休館日
月曜日(祝日の時は翌日)
入館料
無料(企画展など入館料を徴収する場合があります)
旧北陸道の町並みにのこる明治期の銀行
国の登録有形文化財

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小杉焼について

小杉焼の系図は    小杉焼窯跡は   

小杉焼は名陶です。一地方の陶窯でありながら、日本で最も優れたやきものの一つとして全国的に知られています。まさに小杉の誇りです。
小杉焼   小杉焼の作品はここをクリックしてください


 江戸時代後期の文化13(1816)年頃から明治40年頃まで4代にわたり小杉町で焼かれた「小杉焼」を見ることができます。
  初代は高畑与右衛門といい、相馬焼(福島県)で陶技を学び帰郷して上野に築窯、さらに黒河箕輪山、戸破にも陶窯を開き、天保9年(1838)に53歳で没した。
  2代与右衛門は陶窯を整備し販路を拡張して小杉焼の全盛期を開いたが文久2年(1862)に病没。
  3代唐津山与右衛門は慶応2年(1862)に25歳の若さで没した。
  このため4代は親族の唐津山三十郎が継ぎ、一時は盛んだったが明治20年代に衰え始め、明治41年に三十郎が亡くなるとともに廃窯となった。

 窯の様式は相馬焼と同じ京焼系の傾斜砂床の有段式地上窯で高火度焼成のため素地はb器質で硬い、特色は、地方窯に珍しい優美な形態と滑らかな艶を持つ釉色(銅緑釉・黒飴鉄釉・黄白色灰釉)にあります。
  器種は酒器・茶器・花器・神仏具など多岐にわたり、特に鴨徳利・瓢徳利や茶壷などが知られています。

 初代の作品は、小ぶりで引き締まった優品が多く、2代は大作で雄大な趣をもつ。3代は若死したため確実な作品はない。4代は凡手ではないが衰退期に粗雑な作品が見られる。

 各代を通じ大半は無名だが「箕輪山」「小杉焼」の釘彫り銘や印銘のある作品が少数あるほか、2代と4代には年号を書き入れた徳利や、神社寺院等、に奉納した瓶子や香炉が違っている。

復興小杉焼片口窯   復興小杉焼の作品はここをクリックしてください
 小杉焼の復興運動は片口江東・郷倉千靭など町の文化人によって昭和初期から始まり、築窯は昭和9年の窯跡調査、翌10年の小杉焼研究会の発足後なかなか軌道に乗らず、同18年になって出資による陶窯が戦時経済統制会社富山県陶磁器工業株式会社小杉分工場の工芸部門として始めて実現した。これを片口窯という。
  しかし、戦時の経済困難で昭和20年には休業状態となった。
  銘印は、「ひょうたん形内に小杉焼」「横長方形内に小杉焼」「縦長方形内に常山」「円内に小杉」「こすぎ」のほか算用数字を入れたものがある。多い時には年間3〜5万個生産したという。
 
復興小杉焼横堀窯
 小杉焼の復興を試みたものに横堀一之がいる。これを横堀窯という。彼は京都で陶工をしていたが昭和初年小杉町に帰り小杉焼風の青緑釉や飴黒釉の酒器、久谷風の茶器などを製造したが、昭和16年応召のため廃窯となった。戦後は、昭和47年に自宅に築窯し高志焼と称したが成功せぬまま53年に没し廃窯となった。
現在の小杉焼(小杉焼栄一窯)
 昭和45年小杉町手崎に築窯。窯主池上栄一は、金沢美術工芸大学陶磁科を卒業、県立高岡工芸高校で窯業を教授するとともに、中央、地方の著名な陶芸展で入賞を重ね、数多くの美術工芸団体の役員を勤めている。
  作風は、小杉焼の伝統に現代感覚を加味し、花器、茶器、置物、壁面装飾など芸域が広い。

 

 

 


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